ブレインデバッグ日記
【brain】 [名] 1.脳,脳髄 2.頭脳,知能,あたま 3.知的な人,秀才 【debug】 [動] 1.機械などの不調箇所を取り除く,欠陥を直す 2.・・・から害虫を除く
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BLASTHEAD-残暑はドープ&チルアウト-
stone genenation
head music
landscape
outdoor


という訳で、ここのところBLASTHEADをよく聴いています。

ひたすらドープだった初期の作品から浮遊感と開放感に満ちたチルアウトな最近の作品まで、これはもう宇宙です。

飛べます。溶けていきます。虚無と無為の極北へ。

で、BLASTHEADのアルバムは、どれもジャケットが素敵です。

その中でも印象深いのが、「STONE GENERATION」

青々とした緑の葉に包まれて、瑞々しい果実のようにたわわに実る丸々としたオッパイ。

内容とパッケージイメージに、かけ離れた感がありますが、いいんです。

帯には、
『SUPER DOOOOOOOOPPPPPPPPPPEEEEEEEEEEER!!!!!!!!!!!!!!

コレ理解できないアナタは確実にダメ人間です。』


では、これに習って

『THIS IS THE UNIVERSE!!!!!!!!!!!!

MELTTTTTTTTT AWWWWWAYYYYYYYYY!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ダメ人間こそ聴くべき極上のドラッグミュージック。』


【2008/08/23 18:46】 音楽 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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「MISTER LONELY」 -「MISTER LONELY」から「YOU ARE NOT ALONE」へ-
ハーモニー・コリン
※以下、ネタバレ注意!!



ガンモには、ウサギの耳の付いた被り物をした上半身裸の少年が登場する。
彼の存在は、まるでファンタジーから飛び出してきたような、現実において大変違和感のあるキャラクターとして感じられる。
しかし、どうだろう。
この映画を見続けるうち、われわれは別の印象を抱き始める。

猫を殺して売りさばく少年たち、乳房に張り付けたテープを引き剥がし快感を貪る少女、知恵おくれの売春婦、小人症の黒人に涙ながらに甘える白人のゲイ。

現実に生きるこうした人々の日常のなんと現実感のないことか!

ウサギの少年より彼らの存在のほうがよほど現実味に欠ける、おとぎ話のような様相を呈してくる。


ミスターロンリーにおいては、その作品構造が、このような世界観の転倒を表現するものとして機能している。
つまり、何が現実で何が虚構なのか、その関係を反復させ、現実-虚構、本当-嘘、ホンモノ-ニセモノという関係のリフレインによって、2つの境界を不分明にさせていく。
それはモノマネ芸人たちとそのモノマネの対象となる有名人との関係であり、モノマネ芸人とそれを演じる映画に出演する役者との関係であり、パラシュート無しでの奇跡のスカイダイビングと敬虔なシスターとの関係であり、それらの舞台となっているこの映画とわれわれ観賞者との関係である。

ということは、モノマネ芸人やシスターや勝利に酔いしれるパリの群衆とは、この映画に人生の深い絶望とささやかな希望を感じさせらる、われわれのことではなかったか。
事実、映画のエンディングと共に、彼らの辿った道とと同様、われわれも映画という夢から醒めるのである。

しかし、なんといっても、エンディングには、感動を覚えずにはいられない。

夕刻のオレンジ色の陽光に照らされて煌めく波打ち際、墜落し炎上するセスナ機の傍らでスカイブルーの衣装を纏ったシスターたちの死体が打ち寄せられるシーンの、全ての終わりを告げるような静謐とした美しさといったら!!!

不思議なことに、このシーンとは正反対であるはずの、生の歓喜に満ちたパラシュート無しの奇跡のダイブシーンに、同趣の感動を覚えてしまうのが面白い。

この映画で示されるささやかな希望とは、絶望と隣り合わせのような逆説的な希望である。
つまり、誰しもが皆、何らかの虚構や物語にすがって生きていかざるを得ず、醒めてしまうことを初めから運命付けられている夢を見続ける孤独、まさにその孤独感こそを紐帯として繋がるような希望を余韻として残すのだ。
彼らも孤独、私も孤独、あなたも孤独、だからこそここに描かれる切なさに胸を打たれるのだし、同じように受け止め涙するあの人やこの人の姿が「YOU ARE NOT ALONE」を高らかに歌い上げているのだと。


結局のところ、切なくて、悲しくて、滑稽で、愛おしい人々の営みに対するハーモニー・コリンの優しい眼差しが、私は大好きなのだ。


【2008/08/17 15:54】 映画 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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「MISTER LONELY」 -マイケル、マリリン、アンド、ジダン-
ガンモ


本作はこれまでの作品、ガンモ、ジュリアンに比べ、イメージと音楽をふんだんに散りばめた作風は踏襲しているものの、いわゆる商業的な映画フォーマットに立脚しつつ映画的意匠を凝らした、はるかに多くの観賞者に受け入れられる懐の広さを身に付けた、ウェルメイドな作品に仕上がっている。

<以下、ネタバレ注意!!>


メインストーリーの登場人物たちは、全員有名人のモノマネをする人ばかり。
そんなモノマネ芸人達が催した"地上最大のショー"が惨憺たる結果に終わった後、ショックを受けたマリリン・モンローは首を吊ってしまう。

パリに戻った主人公は、マイケル・ジャクソンとして自分に別れを告げ、パリの雑踏をさ迷い歩く。
そこで目に映ったのは母国のサッカー代表の勝利に歓喜する人々。
マイケルに別れを告げた主人公には、サッカー代表のユニフォームを着て、国旗を振り、喜びを分かち合う群衆の姿は、マイケルとして生きていた自分、"地上最大のショー"で共に舞台に上がったマドンナやチャップリン、エリザベス女王、リンカーンらと何ら違いないものとして映ったはずだ。

マイケルやマリリンの姿を真似て生きるモノマネ芸人と、代表ユニフォームを着て国旗を掲げ勝利に酔いしれる市民と、本質においてどこに違いがあるというのか?
マイケルやマリリンを演じるモノマネ芸人たちは、戯画的に表象されたわれわれの似姿だったのだ。

「すべては夢、幻影なんだ」
主人公の独白がナレーションとして挿入される。

ここで世界観の転倒が起こる。
それは本作に限ったことではなく、デビュー作「ガンモ」でも同様のモチーフが表現されていた。



【2008/08/16 10:28】 映画 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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「MISTER LONELY」 - あなたも私もMISTER LONELY-
ミスターロンリー

ハーモニー・コリンの8年ぶりの新作「MISTER LONELY」

今年初めに映画館で観て大好きになった作品。

24時間365日マイケル・ジャクソンとして生きるモノマネ芸人である主人公が、同様に、マリリン・モンローとして生きる女性に出会い、彼女の誘いで、スコットランドの古城で共同生活をするモノマネ芸人たちと"地上最大のショー"を催す。

また、パナマで慈善活動に勤しむシスター達が、その高い神への忠誠が故に、食糧投下用セスナ機からパラシュート無しで飛び降りても、無傷で地上に降り立つという奇跡を繰り広げる。
この2つのストーリーが、最後まで交差することなく、それぞれの結末をむかえる。

モノマネ芸人であるマイケル・ジャクソンとマリリン・モンローの出会いということで、2人のラブストーリー、あるいは、ニセモノとして生きる主人公の自分探しの物語として紹介するきらいがあるが、この映画を、そんな、いかにも宣伝の常套句的に捉えてしまうのは、ミスリードであろう。

それでは、パラシュート無しでスカイダイビングするシスターのストーリーが何のためのものであろうか?
この映画は、生きていくにはあまりにも退屈で苦痛で見も蓋もないこの世界で、それでも生きていこうとする人びとの、何らかの物語に寄り添って生きていかざるを得ない、人生の絶望、虚しさ、切なさ、愛おしさこそが描かれているのだ。
であるからこそ、2つのストーリーが同じテーマを包含しながら平行して進行するのだし、サブストーリー的な役割をしているシスターのストーリーが、アレゴリーとして映画に深みを寄与している。




【2008/08/15 22:33】 映画 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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「ダージリン急行」 〜 ボクらはやっとここからスタートできる 〜
ウェス・アンダーソンの新作「ダージリン急行」観ました。
前作「ライフ・アクアティック」があまりにも素晴らしい出来だったので、ホントに待望という感じ。

それにしても、ウェス・アンダーソンは過小評価されすぎているのでは?という疑念を禁じ得ない常日頃。
なんで?なんで?なんで?
現実を投影したリアリティにあふれる映画なんてクソくらえです。所詮、映画なんて人的に作り上げられた虚構、絵空事。にもかかわらず、みんな平気でウソをつく。リアルな現実だと嘯く。
そんなリアリティなんてNO!NO!NO!NO!NO!NO!NO!
そんな表現としての誠実さを書いた作品が跋扈するなかで、きちんと虚構を虚構として描ききり、その虚構の中にこそ真実が宿るのだということをフィルムに刻印している数少ない作家の一人が、ウェス・アンダーソンなのだ。

と長い前置きはさておき、「ダージリン急行」の話でした。

結論からいうと期待を裏切らない素晴らしい出来でした。
笑いました。そしてちょっぴり感動しました。一歩踏み出す勇気をもらいました。一歩踏み出したその場所はスタート地点かもしれませんが‥‥
「ちょっぴり感動」というのがミソなんじゃないかと思います。現実離れした感動などあろうはずがありません。それこそが真実、リアルな映画なのですから。

「笑い」という部分にだけフォーカスを当てれば、前作以上ではないかと思いました。私の笑いのツボを程良く刺激してくれました。主人公である3兄弟の一挙手一投足がいちいち笑いを誘います。父親の死という悲しいを癒やすためのズッコケ3人組のインドを横断するオフビートでルーズな旅。

ところで、ウェスの映画では殊更、「いまあなたは映画を観ているんですよ」という気付きを促すような描写がよく出てきます。前作でのドキュメンタリー映画撮影という劇中劇であり、船の断面図のセットであり、登場人物が劇中で実際に演奏するBGMであり、潜水艦の窓から見えるCGキャラクターである。
つまり、見ている対象とそれを見る者、映画と鑑賞者という関係性が、映画内において再現され、その関係性のネスト構造により、観ている風景が単なるCG映像なのか、登場人物たちが生きている世界にあらわれた現実の風景なのか不分明になる。
聞こえている音楽が映画のBGMなのか、登場人物が音楽を奏でているというワンシーンに過ぎないのか。見るものに感銘を受ける登場人物と鑑賞者が重なる。登場人物と鑑賞者の感動がスクリーンを跨いで重なり合う。
ウェス・アンダーソン映画の真髄は、まさにこの登場人物と鑑賞者、現実と虚構、内と外、といったフレームを跨ぐという表現の妙にあるのではないでしょうか。このようなフレームを融通無碍に跨いでみせる彼の手腕によって、映画と日常を越えて、現実と虚構の境を溶解させ、私と彼らを共鳴させ、彼らが笑うように私も笑い、彼らが泣くように私も泣いたのでした。

今作にも「フレームを跨ぐ」というモチーフはあらわれます。
列車の車窓というフレームが正にそれでしょう。その意味では、観客も乗客と一緒にゆったりとした旅を、車窓の外を流れる風景に身を寄せながら体験することになるのではないでしょうか。

ちなみに、前作で劇中人物がギターを爪弾き、劇中において音楽を奏でたように、今作でも劇中人物がお気に入りの音楽をかけるシーンがあるんですが、私はそこで一番笑いました。



【2008/03/22 00:17】 映画 | TRACKBACK(1) | COMMENT(0)
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KYTE - 天空からのオルゴール -
KYTE

二十歳になったばかりのイギリス出身の五人組。その若さとは裏腹に、老練な手さばきで、ビューティフルなサウンドスケープを奏でてくれます。
一曲目の「sunlight」が彼らの楽曲の醍醐味を雄弁に語っています。

SIGUR ROSとよく比較される彼らですが、SIGUR ROSが、冷たい漆黒の深い深い海の底から鳴り響く、祈りのような子守歌だとすれば、KYTEは、七色に輝き、風にたなびくオーロラの彼方から運ばれてくる天空のオルゴール、とでも例えればよいでしょうか。

両者の絶対的な違いは、呪術的な匂いの有無でしょうか。
SIGUR ROSが、童話だとすれば、KYTEは、ファンタジー。
KYTEは、かろうじてポップミュージックのフォーマットに乗っかっており、清く正しくポップである。
とにかく美しい、音が透き通っている。

KYTEの曲が流れると、夜風に揺れるカーテンが虹色に発色し、孤独なワンルームを照らし出した。



【2008/02/10 00:26】 音楽 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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FRIDGE 「THE SUN」ー冷たい熱さの放出ー
FRIDGEとしては6年ぶりとなる新譜「THE SUN」

FOUR TET名義ではないリリースは、その内容から頷けます。エレクトロニカ的な要素を後陣に配し、バンドが持つ、また、ロックが持つ身体性、即興性を強調したようなアプローチをみせています。キエラン・ヘブデンの真骨頂と言えば、やっぱり抜群なドラミングの配置と音色、そして、飽きのこない耐久性のある物悲しく、美しいメロディーですが、その魅力は本作でも存分に発揮されています。特にドラミングに関しては、全体的に乾いた音色で、フリーキーに展開しながら、パカーンと目の前に広大無辺な空間が現れたような、n次元の立体感を感じさせ、もうそれだけでヤラレてしまいます。

本作では、ギター、ベース、ドラムというプリセットされたシンプルな構成に、時折、コンピューターによる音色が彩りを加えていますが、あくまでも主役はバンドという形態やロックが持つダイナミズムにあるように思います。
ドライでクールなプロダクションなのにも関わらず、とてつもないエネルギー、熱量を感じます。冷たい熱さとでも言いましょうか。
そうした姿は、あたかも、原初的なロックが持っていたエネルギーと、ポスト・ロック的なセンス、スキルを架橋し、一つの作品に収斂し、ロックの起源と未来を提示しているかのようです。
これほどシンプルでプリセットされた構成を基調としながらも、ここまで表現出来てしまう事実に感動です。

キエラン・ビリーバーなものなので、手放しで絶賛してしまいましたが、そんな過剰な思い入れを差し引いても、これは間違いなく2007年のマスターピースになることは違いありません。

ジャケットデザインは、キエランの作品でお馴染みのジェイソン・エヴァンス。ドラムセットを用いてアルバムタイトルになっている太陽を、青白い光で形作っています。
私がアルバムを聴いて抱いた「冷たい熱さ」というイメージは、ジャケットデザインに喚起されたものなのかもしれません。



【2007/06/24 01:25】 音楽 | TRACKBACK(0) | COMMENT(0)
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